2022年7月24日(日)
本日をもちまして塩日記は終了します。明日から続塩日記(https://www.hirasakajuku.com/cont7/23.html)を開始します。
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かつては「こんな不自由で恥ずかしく申し訳ない思いをするくらいなら死んだほうがマシだ」と思っていたことが、今では日常生活の一部となり、さして葛藤することも自尊心が傷つくこともなく、すべてを受け入れている自分がいる。
中国のゼロコロナ政策は各国から批判されているが、致命的な経済破綻を引き起こすことなく機能させているのは奇跡的かつ驚異的だと思う。
夏休みが始まった。プール、海水浴、川遊び、冷やし素麺、スイカ、失ったものは大きいなあ。
昨日のサッカー代表戦、日本対香港について。「攻めるときに決まりごとがない」と批判されている森保監督、国内組のみという縛りで選考された寄せ集めの日本代表という状況の中、「どうなることやら」と期待より不安を抱えての観戦だったが、意外にも、パス回しに澱みがなく、簡単なパスを繋ぐだけで得点機会を量産していた。香港が弱かったせいでもあるが、ストレスを感じることなく試合を鑑賞することができた。2ゴールを挙げた町野、ボランチを務めた岩田は、今回初めて耳にする選手だったし、パリ五輪の主力と目されている鈴木と藤田も期待に違わぬプレーを見せてくれた。この調子で、次の中国戦、韓国戦でも活躍して、Jリーグを盛り上げるスター選手が生まれるといいなと思う。
目やにが増えてきた。横向きに寝て、つば受けのタオルを枕の上に置くのだが、唾液がタオルを伝わって、目が雑菌にさらされるのが原因と思われる。
藤井棋聖が永瀬王座の挑戦を退け棋聖戦三連覇を達成した。同日に棋譜をみることができるのはネットが発達した現代ならではである。
妻が「コーヒーを飲んでも味がしない。臭いにも鈍感になった」と言っている。これはコロナウイルスの後遺症なのだろうか。一過性のものであってほしいと願うばかりである。
BCI: Brain Computer Interfaceとは脳波を読み取り、意思表示する技術である。NHKのとある番組で、この技術は実用化されていて、商用化の準備が進められている段階だということが報道されていた。そのモニターになってくれと言われたら、喜んで引き受けるのだがなあ。
友人からの質問に返信しそこねたので、この場で言及しておく。前人未到の公式戦1500勝を達成した羽生善治九段は将棋界のスーパースターであり、永世七冠を始めとする数々の記録を打ち立て、その華のある指し回しと羽生マジックと称される勝負手は人々を魅了し続けた。かく言う俺も大ファンで、若かりし頃は『羽生の頭脳』シリーズを読んで棋力向上に励んだ口である。しかし、A級陥落に象徴されるように、ここ2,3年の戦績は全盛期には程遠く、第一線を退いた過去の人になってしまった感が否めない。本人のインタビューでも、長時間正座で考え続けることの肉体的精神的疲弊の増大について語っていたし、AIによる研究手順をぶつけてくる若手棋士に対処できていないという印象だ。なんとか復活してほしいなと思うが、それが夢物語で困難だと実感する年齢になったことを噛みしめる昨今である。
安倍元首相暗殺事件が報道される中、日曜日を迎えた。この日を境に妻は隔離を解いて二重マスク着用で家の内外を出歩くようになった。妻の知人の話によると、感染後一ヶ月は検査しても陽性が出るらしい。なので、体調が回復した後、適当な時期にもとの日常に戻すことになる。月曜から子供たちは全員学校に行くだろう。日曜日の晩、長男がサプライズでホールケーキを買ってきた。「この一週間、みんな苦労したから」だそうだ。
妻と隔離されてから便秘がひどくなった。髭も剃っていない、髪も洗っていない。介護してくれる子供たちには感謝しかない。新たな介護を要求したくないし、またそれを頼んでも妻なしではうまくいかないだろう。木曜日、金曜日と、妻と三男の回復が待たれたが、依然として発熱等の症状は収まらない。一週間学校を休み、自宅では自習がはかどらない様子の長男と次男にはある種の厭戦ムードが漂い始めた。俺は「来週から学校に行きなさい」と一方的な決別を宣言した。
次男が長男に「深夜まで勉強して帰ってくる自分が家族の中で一番きつい生活をしていると思っていたがそうじゃなかった。一番きついのはお母さんだってわかった」と言うと、長男もすかさず同意した。二人がかりで俺を介護しての感想である。妻は「体がだるく痰も収まらないし節々が痛い」だそうだ。発症から5日目、隔離生活はまだまだ続く。
発症後4日が経った火曜日、どうやら三男も妻も軽症で収まる見込みだ。仮に感染が拡大しても子供たちは重症化しないだろうし、発症しても回復中の妻が看病にあたれるだろう。問題は基礎疾患がある俺だが、「重症化して生死の境をさまよったら、ALSが快方に向かったりしないだろうか」なんてことを想像して、諦めの境地に達していたので心は穏やかだった。
夜も更けた頃、ベーコンを焼く臭いが寝室まで漂ってきた。台所からは長男と次男の声が聞こえる。彼らが中学生の時は「早く寝なさい」と小言を言われる側だったが、夜遅くまで有料の読書室で勉強して帰ってくるのが日常となって以来、就寝時間に干渉されなくなった。「おーい。出来たぞ。早く来い」と長男が長女を呼ぶ声が聞こえる。普段はいがみ合っている二人なのにこの日ばかりは面倒見の良い兄と素直に従う妹に変わっていた。なんか、ものすごく楽しそうだ。そういう幸せな時間に入っていけない今の状況は痛恨の極みである。
三男の朗らかな嬌声が聞こえてこない。それは我が家が平和であったことの証だったと気づく。月曜の朝、子供たちが学校に電話して欠席の理由を伝えた。驚いたことに、長女は登校を勧められ、その指示に従って学校に行った。次男もその指示を受けたのかもしれない。しかし、次男は学校に行かないことを選択した。何もかも俺のせいだ。
夕方に朗報が舞い込んだ。長男の体調が回復し、保健所に赴いて検査を受けたところ、陰性であることが判明したのだ。その夜から、長男と次男が俺の介護、長女が家の掃除という分業体制が確立された。北側の個室から子供たちに携帯で指示を送るのはもちろん妻である。
家族の半数がコロナウイルス感染疑惑という危機的状況でリーダーシップを発揮したのは次男だった。家事をこなそうと台所に出てくる妻を諌め、意思疎通は携帯電話で、俺との接触時にはマスクとビニール手袋を着用、換気の徹底、ということを義務付けた。そうなると、今まで妻が担っていた介護業務であった、就寝時の寝返り補助、栄養補給、気管と胃ろうの消毒、という仕事がそれまで寸暇を惜しんで勉強していた次男に降りかかることになる。俺は申し訳ない気持ちから昼間でも床に臥せるようにした。そうしたところでなんの解決にもなりはしないのだけれど。
コロナウィルスに感染した三男は北側の個室に隔離されることになった。そこに出入りするのは妻のみだ。週末であったことが幸いし、次男が俺の介護を担った。一夜明けた土曜日、三男の泣き叫ぶ声が家中に響いた。このとき、我が家が危機的状況に直面していることを思い知った。小康状態だった三男の症状が悪化するのが懸念されたし、家族全員が感染するのも時間の問題に思われた。夕方になると妻と長男が体調不良を訴え、個室に隔離されることになった。俺は生贄として捧げられるのを待つ仔羊のような心境だった。
朝、起きるやいなや、妻が散歩に行こうと提案してきた。いつもなら何かと理由をつけて断るのが常だが、このときは「悪くない」と思った。なぜならば、食後でないので痰吸引や排便の心配がないこと、朝なので猛暑にさらされないこと、車いすに座るときに首が固定されて苦しくなることを妻に伝えていたこと、の外出するための条件が揃っていたからだ。
外に出てみると、思いの外、涼しく爽快だった。道すがら、馴染みのアパート警備の方と久しぶりに顔を合わせた。覚束ない足取りで歩行器代わりの乳母車を押す見知らぬ老婆ともすれ違った。そのたびごとに妻は気さくに話しかけ、お互いの身の上を共有していた。そういう妻の姿を見ると、「人と人の間の距離が近いなあ」と感心する。
散歩の最後にオチが待っていた。出発時は正常に動いていたエレベーターが故障していたのだ。以前にも似たような出来事に遭遇していたような気がするぞ。自宅が2階で、長男と次男が外出する前だったことが幸いした。
人工知能を用いて動画を配信用に編集するソフトを開発すれば一儲けできそうだ。音声から字幕を作成、指定した時間内に収まるように重要でない部分を早送り、指定した雛形に沿ったBGMやアニメーションの挿入、肖像権に配慮したモザイク処理、等の仕事を8割位の精度でやってくれたら、数多いるユーチューバーの業務を激減させるだろうし、新規参入者も増えるだろう。
胃ろうを造設して一年が経つ。胃から皮膚を貫通して体の外部に伸びるビニール製のチューブを交換する日が近づいてきた。病院に行くのは嫌だな。
テレサ・テンの代表曲である『時の流れに身をまかせ』がテレビから流れてきた。「もしもあなたと会えずにいたら」から始まる歌詞は、愛人を囲うのが男の甲斐性と言わんばかりの昭和のオヤジの願望が詰め込まれていて「だからお願い。そばにおいてね。今はあなたしか愛せない」と結ばれており、男の自尊心をくすぐる内容となっている。
若い頃はメロディのみが重要で歌詞はどうでもよかったが、年をとると歌詞の細かい部分に関心が向かうようになった。昭和の大ヒット曲は現代においては総スカンを喰らいかねない。しかし、それは一面的な見方にすぎない。幼い頃から天才歌手と騒がれたテレサ・テンの人生をたどれば、歌詞の中の「あなた」は歌もしくは歌謡界に置き換わり、彼女の人生を綴った名曲に変貌するからである。「一度の人生、それさえ捨てることも構わない」彼女の歌声を聴きたくなった。
NHKのとある番組で山形県遊佐町の少年議会のことが取り上げられていた。少年議会を構成するのは選挙で選ばれた少年議員と少年町長で年間45万円の予算の用途を決めるのが仕事だそうだ。この試みは若者の政治意識を高め、実際、この地域の国政選挙投票率は全国平均より10%以上高いそうだ。
素晴らしい取り組みだと思うが、よく考えると、疑似議会で民主主義を学ぶという取り組みは生徒会という名目で日本全国の各学校で実践されていることではないか。さすれば、若者の投票率が低いという現象は、「せっかく選んだ生徒会長と役員が結局は実権を持つ教師たちの傀儡ではないか」という諦めが一因となっているのではないかという疑念が湧いてくるのである。
オンライン研究集会での講演が一週間後に迫っている。一ヶ月前から準備してきたが、講演スライドの見直しやそれに伴うセリフの変更など、やるべきことが山積みだ。体調が悪いと仕事が全く進まないので、健康であり続けたいものだ。
明日のブラジル代表戦への展望を述べる。ネイマールやヴィニシウスのような世界的名選手がひしめくのはいつも通りだが、監督のチッチが非常に良い仕事をしていて、スーパースターたちの個人的技量のベクトルを揃え集団としての力を生み出しているのだ。対する日本代表は守備の練習と思って、一点差以内の拮抗した時間を長く保つことを目標に戦ってほしい。予選のときのように、中盤に遠藤、守田、田中を並べ、右サイドに冨安を配置できれば、9年前のコンフェデレーションズカップでの対戦で真っ向勝負を挑んでボコボコにされたようなことは起こらないと予想する。
昨日の物言いに妻が反駁。
「しってるわよ。そうやってたら故障につながるから丁寧にやってるの」とのことだ。
韓国では(こう書くと一般化し過ぎのような気がするが)女子中学生が化粧をするのは特別なことではないらしい。特に、最近ではマスク着用が義務付けられているので、マスクの下は化粧し放題で注意もされないとのことだ。ちなみにウチの長女は化粧とは無縁である(知らぬは親ばかりなりと言う可能性も無きにしもあらずだが)。
将棋の叡王戦は藤井五冠の三連勝で初防衛に成功した。第三局は終盤まで接戦で、挑戦者の出口六段が一分将棋で秒読みに追われて勝ちを決定づける最善手を逃したことが致命傷となった。出口六段は局後に大盤解説会に集った観衆を前にした挨拶のとき、言葉に詰まり30秒ほど顔を上げられず顔をくしゃくしゃにして泣いた。普段は表に出ることはないが、棋士たちは全身全霊で戦っていることを感じさせる光景だった。
心臓に持病を抱える義父は妻の実家がある浦項から釜山市郊外に位置する大学病院まで通院している。今日はその定期検診の日で、その帰りに義父母がウチを訪問してくれた。本来であればいたわる立場の俺だが、今回も手を握られいたわられた。初めて妻の実家に「お嬢さんを幸せにするので結婚を認めてください」と挨拶に赴いたのが21年前、「果たしてその約束は守れたのか」と自問自答して、答えに詰まる俺がいた。
通っている教会の牧師先生ご夫妻と牧会者の方々がウチにいらっしゃり、家庭礼拝を開いてもらった。俺のわがままで寝室から出ないことを主張したために、寝室が礼拝の場となり、お客を床に座らせる事となり、申し訳なかった。お越しいただいた皆様にこの場を借りてお詫びと感謝申し上げたい。
三男がまたスマホで遊んでいる、と思っていたら、そうではなかった。なんと、学校で出された英語の宿題で、スマホのアプリを通して英単語を正しい発音でつぶやくと点数化される仕組みになっていて、達成度に関する校内順位も表示されるらしい。勉強嫌いの三男をゲーム感覚で学習させるアプリの力は凄いと思った。日本だと、
「インターネット環境がない家庭はどうするのか?」
「スマホを持ってない子は不利になる」
「電子機器に接する時間が長くなり、視力に悪影響がある」
「競争させることは本来の教育を歪める側面がある」
等の批判が続出して、公教育で導入されることは困難であろう。賛否両論があれど、実行する思い切りの良さがこの地域には存在するようだ。
規模が小さく物理や微積分を教える教員が不足する高校に対する支援策として、他校の教員がオンライン授業を行っているというニュースを見た。いっそのこと、日本全国の教育機関で科目ごとの授業動画を作成する取り組みを推進してはどうだろうか。このような教育コンテンツが蓄積し、編集されれば、利用者の水準や目標に応じた授業を選択できるようになり、知的財産として堆積していくのではなかろうか。
PJR、OSM、 CEK、ESJ、KYJ(敬称略)が見舞いに来てくれた。各々に対して、聞きたいこと伝えたい事があるのだが、今回は成人病予備軍の疑いがあるESJへ一言いいたい。
「食生活と毎日の運動に対する意識を改革して実践しよう。高価な服を着る、高価な車に乗ることより、はるかに贅沢なのが、健康な体を動かすことなのだ」
明日は沖縄返還50周年記念日だ。一連の報道を見る限り、戦前からの歴史や米軍基地問題から沖縄の人々は本土に対して不公平感を伴った複雑な感情を抱いていることが強調されている印象を受けた。
俺にとっては沖縄は数ある都道府県のひとつで、過疎に喘ぎ活力を失っている地域と比べると十分に恵まれていると思う。こう書くと、
「やはり、本土のやつは何もわかってない」
「本土との所得格差を無視するのか」
「米軍基地の7割が沖縄に集中しているんだぞ」
「基地の騒音と墜落事故の恐怖を味わってみろ」
等の反駁で炎上しそうであるが、主張したいのは沖縄の潜在力である。
沖縄科学技術大学院大学(OIST)をご存知だろうか?
詳細は https://www.oist.jp/ja/facts-figures
ここは知る人ぞ知る研究機関で、優秀な研究者を集め、驚嘆すべき研究実績を叩き出しているのだ。この成功例に倣って以下の提案をする。
1.全寮制の中高一貫校を創設。
2.海外の大学への進学に特化する。
3.そのための英語教育を充実させる。
4.各界の著名人を週ごとに招聘し、「白熱教室」のような双方向型の授業を実施する。
5.その様子を撮影、動画を編集、英語の字幕、吹き替えを制作。
6.その作業は部活動の一環として生徒たちが行う。
このような教育機関の充実は沖縄の地力を高めるに違いないと思うが、いかがなものだろうか?
韓国では今週中5月5日のみが子供の日の祝日で、残りは平日である。今日の我が家では特別な行事があるわけでなく、長男と次男は読書室で勉学に勤しみ、長女は自宅でくつろぎ、三男は近所の遊具場で遊び、妻は俺の介護に追われるいつもの日常を過ごした。俺は妻からの「外出しよう」という誘いをやんわりと断り、寝たり起きたりを繰り返していた。幼い頃に食べたちまきの味を懐かしむ今日このごろである。